ことばは、私たちが日々あたりまえのように使っている道具でありながら、その奥には感情や文化の歴史までもを映しだす鏡のような存在です。
毎日何気なく口にする一言に、無意識の価値観や時制が宿っていることも少なくありません。
このコラムでは、そんな「ことば」に秘められた不思議や背景を少し立ち止まって眺め、知的に味わいながら、ときにはやわらかく哲学的に探っていきたいと思います。
ありがとう

★たとえば一番よく使う「ありがとう」ということばを考えてみましょう。
私たちは日常の中で軽やかに、あるいは深い感情を込めてこのことばを使います。
しかし語源をたどると「有り難し」つまり「めったにないこと」に由来しているのです。
人から親切にしてもらうことは本来、奇跡のように稀で貴重な出来事です。その感覚が、ことばの結晶しています。
現代では、頻繁に交わされるため、ただの形式的な挨拶のように聞こえる場面もあるかも知れません。
その背後には「生きている世界は思った以上に不思議と恩恵に満ちている」という「昔の人」のまなざしが隠れていると言われています。
ひとつのことばを深く覗き込むことは、普段の生活のなかに潜んでいる哲学を見つけ出すことでもあるのです。
私たちは無意識のうちに織り込まれてきた歴史や文化、そして人間の心のかたちを、もう一度ゆっくりと見直すことがよいのではないでしょうか。
沈黙

★「沈黙」もまたことば。
私たちはことばを交わすことで心をつなぐと思いがちです。しかし、ときには何も言わないことが、最も深い理解を示すこともあります。
特に、悲しみに寄り添うとき、慰めのことばよりも静かな「沈黙」のほうが優しい場合もあるでしょう。
沈黙は言わないのではなく、言わなくても伝わるの信頼のかたちです。
ことばの海にあふれる今だからこそ、沈黙のもつ力を思い返してもよいのではないでしょうか。
ことばにならないとは

★「ことばにならない」思い。
感動や悲しみがあまりにも大きいと「ことばにならない」という表現を使います。
しかし、その「ことばにならなさ」こそが、心の真実を語っているようにも思えます。
ことばは人の心を形にする器です。ときにはその器からあふれ出す想いがあります。
そこには、人間らしい不完全さと豊かさが同居し、伝えきれない思いがあるからこそ私たちは、今日も新しいことばを探しつづけているのかも知れません。
ことばあそび

★『なぞなぞ・回文・しゃれ・俳句』など、日本語には遊び心に満ちた表現がたくさんあります。
たとえば「しりとり」も単なる遊びではなく、語彙力や発想力を養う知恵のひとつです。
ことばを遊ぶことで、人はことばに親しみ、同時に文化を育ててきました。
ことばは使うだけでなく、遊び、味わうものでもあります。
幼い頃を思い出して、もう一度ことばで遊んでみると、新しい世界が見えてくるかも知れません。
現代の新語

現代の新語ではSNSからの発信が多いようです。
エモい
「エモい」という感情のかたちの表れ。
「エモい」ということばがすっかり日常に定着してきました。
使い方としては「感動したとき・懐かしいきもちになったとき・心が少し揺れたとき」などうまくことばにできない感情を包み込む便利な一言です。
しかし、この便利さこそ現代の感情表現の特徴なのかも知れません。
多様な複雑な気持ちを一言で共有できる安心感がある一方、細やかな感情の輪郭がぼやけてしまう危うさもあります。
「エモい」と言いたくなる瞬間に本当はどんな気持ちがあるのか、立ち止まってみると、そこに「ことばの進化と人の心」の両方が見えてくるかもしれません。
草
★「草」の広がりはSNS上で笑いを表す「W」から生まれました。
今では「大草原」「草生える」などネット文化を象徴することばになっています。
もともと無機質な文字だった「W」が、次第に「草」というイメージを伴って広がっていったのは、ことばの生き物としての面白さを感じさせるのです。
文字の省略から、やがて絵的な連想へと、まるで自然発生的に進化したことばのようにみえます。
ことばは使う人の感覚とともに変わり続けていき、SNSの世界はダイナミズムを日々見せてくれているのです。
バズる
★「バズる」=拡がりの感覚
「バズる」ということばには、現代人の願いが少し隠れている気がします。
なぜならば「誰かに見つけてもらいたい、共感してもらいたい」などそんな思いが「バズる」という一語に凝縮されているのです。
ことばが拡がることは、かつて口コミや文芸の世界でゆっくりと起きていました。
今は数秒で世界中に届き、速さと軽さに戸惑いながらも私たちは新しい「伝わる形」をも先しているのかも知れません。
まとめ
コラムでことばについて書くのは初めてでしたが、毎日使っていることばでもっと正しい表現で使わなければと思いました。
一つのことばのなかに、人の心や時代の空気が行きづいています。
ことばを見つめることは、私たち自身を見つめることなのかも知れません。
何気ない日常のことばの中にも、小さなぬくもりや発見があります。そんなことばの力をこれからも大切にしていきたいと思います。
